我が谷は緑なりき。我が祖母の住まいし故郷の山は緑なりき。我が祖父の住いし海は紺碧なりき。我が国民・市民は正義の旗を高く掲げよ。
我が谷は緑なりき
ジョウビタキ 三光鳥
http://74.125.153.132/search?q=cache:IeJG3wFSSp8J:www.myoden.net/mt/001161.html+%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%93%E3%82%BF%E3%82%AD+%E9%B3%B4%E3%81%8D%E5%A3%B0&cd=8&hl=ja&ct=clnk
【我が谷は緑なりき】 How Green Was My Valley: ダリル・F・ザナック製作,
【同上】:引用始め
概要
今や初老となったヒュー・モーガンは生まれ故郷の谷を出ようとしていた。ヒューは谷が緑だった頃、一家みんなが揃って幸せだった少年時代をしみじみと回顧する。
【参考リンク】: 我が谷は緑なりき : wikipedia :
【私のコメント】以下の通り。
この映画の舞台は、おおよそ130年程前の19世紀末のイギリスの地方の炭鉱町で働く人々の日常の生活が、鮮やかに描かれています。斜陽にあった炭鉱の町で、労働ストを巡り、人々の心が分断されていくのである。その炭鉱労働者の心の拠り所として、教会で、賛美歌を歌い、共同的団結心を深めて、社会的不条理に対して、団結して、立ち向かって行くのである。その炭鉱で落盤事故が起き、その閉じ込められた人たちの救出に際して、炭鉱労働者の人々が、団結して、人命救出のための方策を適切にとろうとはしないその炭鉱の経営者の方針に対して、閉じ込められた炭鉱の落盤現場に、自らの父親を救出に、身を乗り出し、助けることが出来たと言う物語である。
この中で、この炭鉱を舞台にして、貧困・貧乏であるがゆえに、当時の身分制度の英国社会の上流の人々から、差別されながらも、負けず魂を古い起して、その正義感をもって、幼い時代を、勉学に励み、人生における戦いを描いて、この物語を見るものに対して、感銘と感動を呼びかけてくるのである。
この敬虔なキリスト教徒の大人数の家族のこの親子の人生の舞台が、やがて、斜陽産業となる炭鉱での労働生活に、見切りをつける子供たちが、新世界をめざして、米国やオーストラリア等に移民していく時代的な背景も映されて表現されている。 このような人々がその活躍する新天地の舞台を求めて、米国やオーストラリア等に移民して、今日の世界各地において、活躍する基本を創生したイギリス人のハングリー精神と開拓魂も、鮮やかに映しているのである。
このような、社会的な閉塞の状況は、現代にも、十分に存在しているのである。 嘆かわしく、悲しいことである。
http://74.125.153.132/search?q=cache:IeJG3wFSSp8J:www.myoden.net/mt/001161.html+%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%93%E3%82%BF%E3%82%AD+%E9%B3%B4%E3%81%8D%E5%A3%B0&cd=8&hl=ja&ct=clnk
【参考】 http://www.youtube.com/watch?v=Mulx6_XOvPg :ジョウビタキ
【参考】 http://www.youtube.com/watch?v=Mulx6_XOvPg :三光鳥
【参考】 http://www.youtube.com/watch?v=Mulx6_XOvPg :三光鳥
【我が谷は緑なりき】 How Green Was My Valley: ダリル・F・ザナック製作,
ジョン・フォロード監督になる1941年度作品 :アカデミー賞受賞作品
というDVDの映画(500円で購入)を見て、非常に、感動しました。
【出展引用リンク1】:
というDVDの映画(500円で購入)を見て、非常に、感動しました。
【出展引用リンク1】:
【出展引用リンク1】 引用以下の通り:
幼いR・マクドウォールが父を呼ぶ、冒頭の爽やかなヨーデルのような掛け声が耳について離れない。J・フォードの美しい人間讃歌である。19世紀のウェールズの炭鉱町。ヒューはモーガン家の末っ子で、家の男達はみな炭鉱で働く。学校ではいじめられっ子でも、皆の励ましで悪童に立ち向かい認められる芯のしっかりした少年だ。石炭産業は不況で、賃金カットに抵抗し、組合結成の動きが高まり、長兄イヴォーを始め、一家の若者たちはその先鋒に立つが、父(D・クリスプ)はこれに反対。息子たちは家を出、姉のアンハード(M・オハラ)とヒューだけが残される。新任の牧師グリフィド(W・ピジョン)と姉は秘かに魅かれあっているが、禁欲的な彼を前に、姉は不本意な結婚を承諾、南米へ渡る。川に落ちた母を助けて凍傷になったヒューを親身に励まして以来、グリフィドとは固い絆で結ばれ、彼の奨めでヒューは文学の世界に目覚める。が、長兄が事故死し、ヒューは止むなく学校を中途で辞め、兄に代わって働く。姉が実家に戻った時、グリフィドとの心ない噂が立つが、牧師は卑俗な村人の心を責め、教会を去っていく。ちょうどその日、落盤で父までが犠牲になるのだった……。不幸なことばかりの少年時代だが、成長した彼にはあくまでその月日は麗しく尊いもの--と語るフォード節に泣かされること必定の名作。オスカーには、作品、監督、美術、撮影(A・ミラー)、助演(クリスプ)、装置の6部門で輝いた。当初は西ウェールズでのオールロケが予定されていたが、大戦勃発のため、サン・フェルナンド・ヴァレーに広大なオープン・セットが建てられた。
【以上引用終わり】
【以上引用終わり】
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【同上】:引用始め
概要 20世紀フォックス制作・配給。第14回アカデミー賞最優秀作品賞、監督賞、助演男優賞(ドナルド・クリスプ)、撮影賞(白黒部門。アーサー・ミラー)、美術賞(リチャード・デイ、ネイサン・ジュラン)、室内装置賞(トーマス・リトル)を受賞した。また1990年米国連邦議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿に登録した作品でもある。この作品を含めて美術を担当したリチャード・デイは、2005年度米国美術監督組合(ADG)の生涯功労者に選ばれている。
この作品は19世紀末のイギリス・ウェールズ地方のある炭坑町を舞台に、男たちが皆働いているモーガン一家の人々を主人公にした人間ドラマである。原作はリチャード・レウェインという人が書いたベストセラー小説である。この作品でジョン・フォード監督が描こうとしているのは善意と誠実さを貫いて生きる人間の姿と魂である。
あらすじ
今や初老となったヒュー・モーガンは生まれ故郷の谷を出ようとしていた。ヒューは谷が緑だった頃、一家みんなが揃って幸せだった少年時代をしみじみと回顧する。モーガン家の男たちは、末っ子のヒュー(ロディ・マクドウォール)を除いて皆炭坑夫であった。 父ギリル(ドナルド・クリスプ)を始め5人の兄たちが稼いだ賃金はいつも家の戸口で出迎える気丈な母ベス(セーラ・オールグッド)のエプロンに置く。姉アンハード(モーリン・オハラ)が湧かしたお湯で身体を洗い、食事につくのが日課である。そんな平穏な日々の中で長男が結婚、一家は幸せだった。 披露宴の日、アンハードは新しく谷に赴任してきた牧師グリュフィード(ウォルター・ピジョン)と出逢い、互いに密かに惹かれあう。
ある日、会社が賃金を引き下げた事から息子たちは組合を作ろうとして父と対立する。しかし、老いた父の反対にあって彼らは家を出てしまう。 やがてストライキが起こり、ストに反対した父は仲間たちからの非難を浴びる。吹雪の中の野外集会で夫を非難する連中をやりこめた母は帰りに川へ落ち、助けようとしたヒューは重症の凍傷になってしまう。再び歩けるようにはならないかも知れないとの医師の言葉に絶望しかけていたヒューを救ったのはグリュフィード牧師の愛情溢れる手助けだった。数ヶ月後、ヒューは健康を取り戻し、再び自分の足で歩けるようになる。
ヒューの面倒をみたことからモーガン一家と親しくなったグリュフィード牧師は、アンハードを深く愛するようになる。しかしグリュフィードは彼女の幸福を思って炭坑主の息子との結婚を勧め、自分は身を引く。
ヒューはグリュフィードの助けもあってモーガン家で初めて学校へ通うようになる。しかし隣町の学校では教師もクラスメイトたちもヒューを炭坑夫の息子とバカにしてからかい、登校初日からケンカになってしまう。傷だらけで帰って来たヒューを見て谷の人々は憤慨、ヒューにボクシングを教えて鍛える。谷の人々の後押しもあってヒューはガキ大将からも一目置かれるようになり、やがて主席で卒業する。
ストライキは終わったが、炭坑では働き口が激減。谷の人々の心も時代と共に荒んでいた。兄たちは新天地を求めてひとりまたひとりと谷を去っていく。
そしてある日、長男が事故死。ヒューは進学を諦めて炭坑で働き始めた。炭坑主の息子へ嫁いだアンハードは結婚に破れ谷に帰ってきたが、グリュフィード牧師との心ない噂をたてられる。人々の偽善に傷ついたグリュフィード牧師は谷から去る決意をする。その時、炭坑から落盤事故を報せる警笛が鳴り響く。ヒューは戻らない父を案じて、グリュフィードらと共に坑道へ入って行く...。
~~~~~~~~~~モーガン一家の6人の息子の末っ子ヒューが老後に、少年(ロディ・マクドウォール)だった頃を美しい合唱をバックにしみじみと回顧する。
父(ドナルド・クリスプ)からヒューを除いた一家の男たちは、皆炭坑夫であった。稼いだ賃金はいつも出迎える気丈な母(セーラ・オールグッド)のエプロンに置く。姉アンハード(モーリン・オハラ)が湧かしたお湯で身体を洗い、食事につくのが日課である。そんな平穏な日々の中で、長男は結婚し、一家は幸せだった。新しく赴任してきた牧師グリュフィド(ウォルター・ピジョン)がアンハードと親しくなる。
ある日、会社が賃金の引き下げから息子たちは組合を作ろうとして、父と対立する。しかし、老いた父の反対にあって彼らは家をでてしまう。ストライキが起こり集会で夫を非難する連中をやりこめた母は帰りに川へ落ちて、ヒューは牧師と助けるが、凍傷になってしまう。牧師はヒューの面倒をみたことから、モーガン一家と親しくなり、姉を愛するようになる。しかし牧師は彼女の幸福を思って、炭坑主の息子との結婚を勧め、自分は身を引く。
やがてストライキは終わったが、長男は落盤で事故死する。稼ぎ頭を失ったモーガン家では、ヒューが炭坑で働き始めた。姉は実家に帰ってきたが、牧師との心ない噂をたてられる。人々の偽善に傷ついた牧師は、町から去っていった。そして同じ日に父も落盤事故で命を落とす…。
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ある日、会社が賃金の引き下げから息子たちは組合を作ろうとして、父と対立する。しかし、老いた父の反対にあって彼らは家をでてしまう。ストライキが起こり集会で夫を非難する連中をやりこめた母は帰りに川へ落ちて、ヒューは牧師と助けるが、凍傷になってしまう。牧師はヒューの面倒をみたことから、モーガン一家と親しくなり、姉を愛するようになる。しかし牧師は彼女の幸福を思って、炭坑主の息子との結婚を勧め、自分は身を引く。
やがてストライキは終わったが、長男は落盤で事故死する。稼ぎ頭を失ったモーガン家では、ヒューが炭坑で働き始めた。姉は実家に帰ってきたが、牧師との心ない噂をたてられる。人々の偽善に傷ついた牧師は、町から去っていった。そして同じ日に父も落盤事故で命を落とす…。
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【参考リンク】: 我が谷は緑なりき : wikipedia :
English:
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【私のコメント】以下の通り。
この映画の舞台は、おおよそ130年程前の19世紀末のイギリスの地方の炭鉱町で働く人々の日常の生活が、鮮やかに描かれています。斜陽にあった炭鉱の町で、労働ストを巡り、人々の心が分断されていくのである。その炭鉱労働者の心の拠り所として、教会で、賛美歌を歌い、共同的団結心を深めて、社会的不条理に対して、団結して、立ち向かって行くのである。その炭鉱で落盤事故が起き、その閉じ込められた人たちの救出に際して、炭鉱労働者の人々が、団結して、人命救出のための方策を適切にとろうとはしないその炭鉱の経営者の方針に対して、閉じ込められた炭鉱の落盤現場に、自らの父親を救出に、身を乗り出し、助けることが出来たと言う物語である。
この中で、この炭鉱を舞台にして、貧困・貧乏であるがゆえに、当時の身分制度の英国社会の上流の人々から、差別されながらも、負けず魂を古い起して、その正義感をもって、幼い時代を、勉学に励み、人生における戦いを描いて、この物語を見るものに対して、感銘と感動を呼びかけてくるのである。
この敬虔なキリスト教徒の大人数の家族のこの親子の人生の舞台が、やがて、斜陽産業となる炭鉱での労働生活に、見切りをつける子供たちが、新世界をめざして、米国やオーストラリア等に移民していく時代的な背景も映されて表現されている。 このような人々がその活躍する新天地の舞台を求めて、米国やオーストラリア等に移民して、今日の世界各地において、活躍する基本を創生したイギリス人のハングリー精神と開拓魂も、鮮やかに映しているのである。
このような、社会的な閉塞の状況は、現代にも、十分に存在しているのである。 嘆かわしく、悲しいことである。
【我が人生は迷いごとと苦しいことの連続ばかりであった。】
私は、大学を卒業し、都心にある日本ビルディングの土木コンサルタントに勤め始めた。そこから、当時、富士製鉄と八幡製鉄が合併して新生された新日本製鉄本社の鉄鋼開発室の課に出向した。そこには、優秀な技術系統の人々がいたのであるが、この会社の関連会社が、海底パイプラインをインドネシア沿岸で、敷設していた台船に備えられたスチンガー【台船上で溶接された鋼管を海底に滑り出すためのトラス構造の支持装置が、台船との継ぎ目の最大のモーメントのかかるところで、破断・切断されて、海底パイプラインの敷設装置が、破談してしまったのである。それだけで、その事業費に数億円の損害が、発生するとのことであった。そこで、その案件の技術的対策としての方策の検討が、開始されたのである。
その職場の若い技術スタっフから、この敷設の構造物の構造解析をする方法を私に相談しに来てくれたのである。 この人は、私の卒業した海洋学部に講師として、教鞭をしていた荒井利一郎(東京大学土木工学卒業)氏の名古屋工業大学の大学教授時代の教え子であった。)
その職場の若い技術スタっフから、この敷設の構造物の構造解析をする方法を私に相談しに来てくれたのである。 この人は、私の卒業した海洋学部に講師として、教鞭をしていた荒井利一郎(東京大学土木工学卒業)氏の名古屋工業大学の大学教授時代の教え子であった。)
そこで、その海洋構造物が、波の力で、どのような慣性力が加わるかの模型実験研究と多質点系の構造物の動的解析を提案したのである。 当時の多質点の構造物の動的解析は、高層建築物の地震時の解析方法を開発した東大教授の武藤清氏や岡本舜三氏の地震時の構造物の応答解析の研究学問があったので、それを参考にしたのである。その海底パイプライン敷設構造物に対する波力による動的解析方法や繰り返し応力による海洋構造物部材の疲労破壊に対する解析方法が、未だ日本で、確立、完成されていなかったのであるが、これを元に、新日本製鉄の相模原研究所の技術者が、その後1年間をかけて、実験研究と動的解析の方法が生み出されたのである。新日鉄の本社の一階層の全フロアーを占領していたコンピューター郡の設置されたルームを今でも懐かしく思い浮かべることができる。当時のコンピューター本体は、大型タンスよりも大きいものが幾台も据えられていたのであった。
~~~~~~~~~
【我が祖母の住まいし故郷の山は緑なりき。】の思いで、【我が祖父の住いし海は紺碧なりき。】
を目指して。
私は。東京生まれの東京育ちであったが、この無秩序で、騒々しく、喧騒なる大都会を嫌って、地方で、海洋に係る仕事を求めて、従事することをめざし、父の故郷の三重県の志摩地方に仕事を求める旅を開始したのである。その後日本の各地の道路公団や建設省のコンサルタント会社経由で、高速道路等の現場管理業務に契約性で従事して、契約切れの時には、生活の安定はしないが、どうにか、生活を維持して来ることができたのである。 公団の正職員が夕刻の定時に仕事を終えても、私の場合は、業務は、請負業務なので、積算業務等に、数ヶ月は、日曜日以外の日は、平均の睡眠時間2時間を切るほどのハードな業務を3か月間以上に渡り余儀なくされたが、もちろん請負であるから、勤務外手当ては、なしである。その間にも、本来の規定では、職員がその積算をしなければならないことになっているのであるが、その職員たちは、私の必死の業務のそばで、パソコンゲームを平然とおこなうのみであった。定時になれば、その者達の上司は、奥で、アルコール付きの談義であった。 健康とか、人権などは、そこに、存在しないのである。
積算業務の決済や査定の公団の責任者である支社の若い責任者は、極めて真面目で、連日の徹夜業務に近いほどの業務をこなしていたのである。 現在において、民営化された公団のこの落差は、一体どうなっているのであろうか?
がんばりすぎて、健康をそこねれば、失業が待ち構えているのである。病気になる暇などないのである。我々の民間と官僚の労働格差は、行政の発注者から見たら合法的に、請け負った側から見たら非合法の天国と地獄の様な、業務に従事し経験したのである。 官との請負業務はこのような、偽善性が隠されている。
しかし、そのような、業務にあえて、していかねば、生活に、響くのである。
このような状態で、公的な国家の行政が、まともに、進むわけがないのである。やがて、その公団は、民営化されて行ったのである。
地方において、就業先はなく、新聞配達や工場労働をしたり、失業状態に近い中でも、安い賃金であったが、どうにか、家族のために、がんばり通して来たのである。それまでの貯金や奨学金で、一人息子を大学に行かせることが、できたのである。 まだ、私が死ぬまで、バブル時の自宅の土地・家屋購入のための借金を支払っていかねばならない。しかし、この苦しさを乗り越えることで、己自身の鍛錬になったのである。 自分で、やるべきことをやってきた抱負と自信を持つことができたのである。
現在は、私の祖母の育った山里の故郷で、ウグイス、ジョウビタキ、三光鳥やカッコウの囀り(さえずり)を季節ごとに聞き、無農薬家庭菜園を楽しみ、野生のリンドウを見つけたり、絶滅危惧種のメダカや山椒魚の幼生を探したり、野性の鹿が出没することを楽しみとして、暮せば、そこは、楽園そのものである。【我が祖母の故郷の山は緑なりき。我が国の海は紺碧なりき。】の感慨をもって、私のライフワークである海洋開発に係る夢の扉を開けようと微力であるが努力を続けることが出来ることに対して、世の中に感謝して、生きているのです。
【いざ、我が国民・市民は正義の旗を高く掲げよ。】
現在の日本は、自民・公明党政権の悪政の因果により、主権者である国民をないがしろにして、困窮に陥れたことに対して断罪し、若者達が、幸せな家庭を築きあげることができるような社会、主権者である国民が、経済的に困窮のなく、安寧のある社会を構築することが、政治政策で、強く求められているのである。
若いときに、汝の理想を見つけよ。若きときに、汝の希望を星に繋げ。との松前重義総長の懐かしい訓示とその笑顔を思いえがきながら、困窮で、凸凹の道を、あえて、選び進まんかな。
その先に見える明るい希望のある未来の社会の創生をめざして、私達は困窮する人々に対して、無関心であっては、ならないのである。傍観していてはならないのである。勇気と確信をもって、前に進まねば、私達の社会は、良くならないのである。放置すれば、その社会は悪性の強者による欺瞞的・圧制専制的な社会になってしまうのである。
この映画で、教えるように、社会的な悪を放置しては、我々の社会に、幸せは、やって来ないのである。私達の手によって、悪政に対する者達を断罪しなければならないのである。 そこには、正義を掲げた人々の団結が必要である。国民は、意識して、正義の旗を高く掲げよ。
この自民・公明党の悪性的の政治政策を断じて赦さず、糾弾して行こう。敵陣営は、すでに、その政治責任を逃れようと必死になっているが、気を弛めることなく、着実に、その歩みを進めていこう。
【追記】是非、是非このすばらしい映画を鑑賞して頂きたいものです。 ワーキングプアーの若者は、このようなことも不可能なのである。
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【我が祖母の住まいし故郷の山は緑なりき。】の思いで、【我が祖父の住いし海は紺碧なりき。】
を目指して。
私は。東京生まれの東京育ちであったが、この無秩序で、騒々しく、喧騒なる大都会を嫌って、地方で、海洋に係る仕事を求めて、従事することをめざし、父の故郷の三重県の志摩地方に仕事を求める旅を開始したのである。その後日本の各地の道路公団や建設省のコンサルタント会社経由で、高速道路等の現場管理業務に契約性で従事して、契約切れの時には、生活の安定はしないが、どうにか、生活を維持して来ることができたのである。 公団の正職員が夕刻の定時に仕事を終えても、私の場合は、業務は、請負業務なので、積算業務等に、数ヶ月は、日曜日以外の日は、平均の睡眠時間2時間を切るほどのハードな業務を3か月間以上に渡り余儀なくされたが、もちろん請負であるから、勤務外手当ては、なしである。その間にも、本来の規定では、職員がその積算をしなければならないことになっているのであるが、その職員たちは、私の必死の業務のそばで、パソコンゲームを平然とおこなうのみであった。定時になれば、その者達の上司は、奥で、アルコール付きの談義であった。 健康とか、人権などは、そこに、存在しないのである。
積算業務の決済や査定の公団の責任者である支社の若い責任者は、極めて真面目で、連日の徹夜業務に近いほどの業務をこなしていたのである。 現在において、民営化された公団のこの落差は、一体どうなっているのであろうか?
がんばりすぎて、健康をそこねれば、失業が待ち構えているのである。病気になる暇などないのである。我々の民間と官僚の労働格差は、行政の発注者から見たら合法的に、請け負った側から見たら非合法の天国と地獄の様な、業務に従事し経験したのである。 官との請負業務はこのような、偽善性が隠されている。
しかし、そのような、業務にあえて、していかねば、生活に、響くのである。
このような状態で、公的な国家の行政が、まともに、進むわけがないのである。やがて、その公団は、民営化されて行ったのである。
地方において、就業先はなく、新聞配達や工場労働をしたり、失業状態に近い中でも、安い賃金であったが、どうにか、家族のために、がんばり通して来たのである。それまでの貯金や奨学金で、一人息子を大学に行かせることが、できたのである。 まだ、私が死ぬまで、バブル時の自宅の土地・家屋購入のための借金を支払っていかねばならない。しかし、この苦しさを乗り越えることで、己自身の鍛錬になったのである。 自分で、やるべきことをやってきた抱負と自信を持つことができたのである。
現在は、私の祖母の育った山里の故郷で、ウグイス、ジョウビタキ、三光鳥やカッコウの囀り(さえずり)を季節ごとに聞き、無農薬家庭菜園を楽しみ、野生のリンドウを見つけたり、絶滅危惧種のメダカや山椒魚の幼生を探したり、野性の鹿が出没することを楽しみとして、暮せば、そこは、楽園そのものである。【我が祖母の故郷の山は緑なりき。我が国の海は紺碧なりき。】の感慨をもって、私のライフワークである海洋開発に係る夢の扉を開けようと微力であるが努力を続けることが出来ることに対して、世の中に感謝して、生きているのです。
【いざ、我が国民・市民は正義の旗を高く掲げよ。】
現在の日本は、自民・公明党政権の悪政の因果により、主権者である国民をないがしろにして、困窮に陥れたことに対して断罪し、若者達が、幸せな家庭を築きあげることができるような社会、主権者である国民が、経済的に困窮のなく、安寧のある社会を構築することが、政治政策で、強く求められているのである。
若いときに、汝の理想を見つけよ。若きときに、汝の希望を星に繋げ。との松前重義総長の懐かしい訓示とその笑顔を思いえがきながら、困窮で、凸凹の道を、あえて、選び進まんかな。
その先に見える明るい希望のある未来の社会の創生をめざして、私達は困窮する人々に対して、無関心であっては、ならないのである。傍観していてはならないのである。勇気と確信をもって、前に進まねば、私達の社会は、良くならないのである。放置すれば、その社会は悪性の強者による欺瞞的・圧制専制的な社会になってしまうのである。
この映画で、教えるように、社会的な悪を放置しては、我々の社会に、幸せは、やって来ないのである。私達の手によって、悪政に対する者達を断罪しなければならないのである。 そこには、正義を掲げた人々の団結が必要である。国民は、意識して、正義の旗を高く掲げよ。
この自民・公明党の悪性的の政治政策を断じて赦さず、糾弾して行こう。敵陣営は、すでに、その政治責任を逃れようと必死になっているが、気を弛めることなく、着実に、その歩みを進めていこう。
【追記】是非、是非このすばらしい映画を鑑賞して頂きたいものです。 ワーキングプアーの若者は、このようなことも不可能なのである。
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